1970年から1998年までF1に参戦していたコンストラクター。かつて中嶋悟が在籍した事あるなど、日本と縁の深いチームであった。材木商として成功したケン・ティレルが1960年にチームを設立。1967年いマトラのセミワークスチームとしてF1に参戦し、ジャッキー・スチュワートを擁し、1969年のドライバーズ、コンストラクターズ両タイトルを制覇。1970年にマトラと決別し、単独での参加を目ざす。1970年最終戦カナダGPで突然オリジナルマシンを導入し、1971年にいきなりダブルタイトルを獲得。1973年もスチュワートがドライバーズタイトルを獲得した。しかし、最終戦セベールが事故死するとスチュワートも引退した。1976年には有名な6輪車P34を開発し、F1界を驚かせる。日本ではスーパーカーブームもあり、ラジコンやミニカー、スーパーカー消しゴムなどが販売されチームに莫大な版権料をもたらした。1970年代後半から1980年代は資金不足もあり停滞。しかし、80年代後半から90年代前半は日本のバブル景気を背景に、ジャパンマネーが流れ込みティレルは日本人ドライバーやエンジン、スポンサーを積極的に取り入れていった。1990年になるとジャンアレジと中嶋悟をレギュラードライバーとして起用。タイヤパフォーマンスに苦しむも、着実にポイントを重ねコンストラクターズで16ポイントを稼いだ。しかし、その後勝利を挙げることが出来ず、1998年にブリティッシュアメリカンタバコにより買収されチームは消滅した。
【馬主】和田農林㈲
【競走成績】中央15戦13勝・海外1戦0勝
父は鹿毛の「パーソロン(Partholon)」で、母は栗毛の「スイートルナ」。
セントライト、シンザン、ミスターシービーに続いて日本競馬史上四頭目の三冠馬。
「シンボリルドルフ」という馬名は、ハプスブルク家初の神聖ローマ帝国皇帝「ハプスブルク伯ルドルフ1世」に由来している。
「皇帝」「七冠馬」と呼ばれ、日本競馬史上最強馬の一頭でもある。
圧倒的な強さから国内に敵なしとなり、最終的な目標である凱旋門賞の海外遠征に向けた足がかりとして、アメリカのサンタアニタ競馬場でのレースで怪我が発覚し、そのまま引退。
引退後は生まれ故郷のシンボリ牧場で種牡馬となり、トウカイテイオーなどを排出した。
1984年と1985年に優駿賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬、最優秀5歳以上牡馬受賞し、1987年に競争成績や種牡馬成績が認められ、顕彰馬に選ばれている。