1999年から2005年までF1に参戦していたチーム。当初の名前はブリティッシュ・アメリカン・レーシング。2005年に本田技研がチームの株式を全て取得し、2005年でB・A・Rは消滅し、2006年以降参戦しているホンダF1チームの前身となった。ジャック・ヴィルヌーヴのマネージャーだったクレイグ・ポロックが、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ、レイナードなどの支援を受け、ティレルを買収しブリティッシュ・アメリカン・レーシングとして1999年から参戦した。ドライバーは1997年のワールドチャンピオンであったジャック・ヴィルヌーヴを起用した。ルノーのエンジン、レース用車体専門のレイナード、チャンピオン経験者のジャック・ヴィルヌーヴと新チームとは思えない充実した体制で、期待値が非常に高いチームであった。しかし、1997年をもって開発費用の負担を止めたルノーのエンジンが時代遅れとなった事、F1での車体製造経験の無いレイナードの車体などにトラブルが頻発し、完走もままならずノーポイントでシーズンを終了した。万年テールエンダーと呼ばれたミナルディにすら遅れをとり、コンストラクターズ最下位となった。2000年以降、ホンダのエンジンを獲得し挽回を図り、ジャックが4位入賞を4回果たすもコンストラクターズ5位が精一杯の状況であった。2004年にはジェンソン・バトンと佐藤琢磨をレギュラードライバーに起用し、サンマリノGPでバトンがチーム初となるポールポジションを獲得、決勝でも2位に入るなどの活躍を見せる、この年のアメリカGPでは佐藤琢磨が日本人14年ぶりとなる表彰台にあがった。2004年はコンストラクターズ2位を獲得する躍進を見せた。しかし、2005年は迷走し、前半戦は重量規定違反で出場停止処分を貰うなど振るわないシーズンとなった。その年の10月株式を全てホンダに売却し、B・A・Rとして歴史は閉じた。