チーム名の由来は、チーム設立にかかわった、マックス・モズレー(M)、アラン・リース(AR)、グラハム・コーカー(C)、ロビン・ハード(H)の頭文字。1969年にF3シャシーの製作を始め、1970年には初のF1用シャシー「701」を前年のチャンピオン、ジャッキー・スチュワートのいるティレルに供給しはじめ、シーズン終盤に参戦を始める。1971年は5度の表彰台を飾るが、スポンサーが去るなど戦闘力が低下。1974年にイタリアの工具メーカーBetaがスポンサーに付くと、チーム力をあげ翌年のオーストリアGPでヴィットリオ・ブランビラが優勝を果たす。1976年にも勝利を挙げるが、1977年にATSへチームは売却。F1から撤退する事となった。1987年に日本のレイトンハウスをスポンサーにつけ、再び参戦を開始するが、日本のバブル景気崩壊後、業績が悪化したレイトンハウスがスポンサーから降り、資金難となり1993年にチームは消滅してしまった。